論文の内容の要旨

【目 的】

塩酸トラマドールは近年臨床において多く利用されている非麻薬性鎮痛薬である。結合実験や行動実験によりその主な作用は中枢性オピオイド様作用や下行性疼痛抑制系の賦活化と言われているが,その細胞レベル機序は不明である。目的は,一次求心性感覚神経を介した末梢からの痛覚情報伝達の制御に重要な役割を果たす脊髄膠様質(後角浅層)細胞を標本としてトラマドールの作用を調べ,その鎮痛作用機序を明らかにすることである。

【方 法】

成熟雄性SD系ラットから厚さ約700 mmの脊髄横断スライス標本を作製し,膠様質細胞にブラインド・ホールセル・パッチクランプ法を適用し,塩酸トラマドールの第一代謝物であるM1の灌流投与により誘起される膜電流を調べた。保持膜電位は-70mV(静止膜電位付近)であった。

【結 果】

(1)M1は外向き膜電流を誘起し,その振幅は濃度と共に増加した(EC50 = 0.3 mM)。(2)M1電流はμオピオイド受容体(MOR)阻害薬CTAPにより抑制された。(3)細胞外のK+濃度を変えてM1電流の逆転電位の変化を調べたところ,これはK+の平衡電位に近似した。

【考 察】

以上よりM1は脊髄膠様質細胞においてMORを活性化し,K+チャネルを開口させ,細胞膜を過分極させることにより,細胞の膜興奮性を抑制することが明らかとなった。

【結 論】

この作用が塩酸トラマドールの鎮痛作用の一端であることが示唆された。

 

論文審査の結果の要旨

主査 頴原 嗣尚

副査 黒田 康夫

副査 藤戸  博

 

トラマドールは経口や注射によりヒトに投与されると,体内でM1に代謝されて鎮痛作用を発揮すると考えられている臨床薬である。行動生理学や結合アッセイの実験から,その作用機序としてμ受容体の関与が示唆されていたが,細胞レベルの研究は今まで行われていなかった。本論文の研究は,細胞レベルでその作用機序を明らかにするために,痛覚情報伝達制御において重要な役割を果たす脊髄後角第2層(膠様質)ニューロンの膜電位にM1がどんな影響を及ぼすかを調べたものである。成熟ラットから脊髄横断薄切片を作製し,膠様質ニューロンにブラインド・ホールセル・パッチクランプ法を適用し,膜電位を静止膜電位付近の-70 mVに固定し膜電流を記録する実験を行っている。

 M1の灌流投与により外向き膜電流(過分極)が誘起されることを発見し,その発生機序を調べている。

まず,(1)その膜電流がμ受容体の拮抗薬であるCTAPにより阻害されること,(2) 同じニューロンでM1とμ受容体の作動薬であるDAMGOの灌流投与による応答膜電流を調べ,それらの大きさの間で良い相関が見られることより,その過分極作用がM1によるμ受容体の活性化によることを明らかにしている。次にM1電流発生のイオンチャネル機序を知るためにM1電流の電流-電圧関係を調べ,その逆転電位がK+ の平衡電位に一致することからK+チャネルの活性化によると結論している。

以上の成績は,トラマドールの細胞レベルにおける鎮痛作用機序として,膠様質ニューロンに発現している μ受容体の活性化を介したK+ チャネルの開口による膜過分極という新しい機構を明らかにした。本研究はパッチクランプ法を用いて細胞レベルではじめてトラマドールの作用機序を明らかにしたものであり意義あるものと考えられる。

よって本論文は,博士(医学)の学位論文として価値あるものと認めた。